ずっと自由時間@占星術blog

宇宙や星や日常のこと

いじり文化ってやっぱりさ



 

以前、上島さんの訃報について書きました。やっぱりまたつづきです。

 

tiisanaherbyasan.hatenablog.com

 

人生の大半を月に捕まり、最後まで月を使って自己証明しようとするもエネルギーを消耗してしまった。そんな構図が見えてきた、その先。

 

 

 

イメージはあるが実力がない月

 

 

 

ホロスコープを拝見した印象はピュアでまじめな人。自己犠牲を厭わない月うお座の願いに応えるかのような山羊座の太陽の忍耐力が核だったのでしょう。目的のためならどんなことにも耐えられるという強い意志をもっていた。元気なうちは。

 

自虐したり自分に鞭打つような過酷な状況も、山羊座の真剣さと忍耐強さがあるからこそだったと改めて思いました。仕事に対する姿勢はすごくまじめな方だったのではないかと思います。やはり、ちゃんと太陽を燃焼させていたと感じます。月だけでは長年の第一線での活躍はできるはずがありませんからね。

 

意識的に使える太陽が燃焼している間は良いのです。月のピュアな思いを携えつつ、太陽の意志を持って行動していく。月を礎にして太陽を発揮して人気者になる。これは苦しさはあるものの途中まではうまくいくのでしょう。

 

しかしこの体制は、太陽のエネルギーが弱まると、自然と月だけに占領されてしまいかねません。月は能動的な太陽とは異なり、自ら光れない受け身の性質を持っていますから、太陽の意志を失うと変わって月が台頭します。昼間の太陽が沈むと夜に月が輝き出すのと同じですね。魂の喜びを表す太陽に対して月は死の星と言われており、自ら光る太陽とその光を利用して反射させているだけの月を見ても分かる通りです。

 

そんなこの状況の一番の問題点は、月には実力がない点です。月だけでは月の願いを実現することが出来ません。ここで、明るく前向きに諦めたり、軽々と可愛らしく願いだけを放ったりすればいいですが、執着してしまうと、たちまちエネルギーの消耗が加速する。無視できないレベルになっていきます。そしてルナティック(精神異常)に陥る。なので月を使って自己証明を試みてはいけないのです。なんども言いますがイメージだけがあって、実力がないからです。

 

 

 

月に魅入られたお役目の人

 

 

 

「月に捕まる人生は輪廻の輪に引き戻され、やり直しを迫られる=失敗である」

わたしは月星座に対してそんなイメージを抱いていました。月は注意して見抜かなければならないトラップを内蔵していると思っていますが、はたして月に捕まる人生は失敗なんでしょうか?

 

わたしはこんな風に思ったんです。今回のように自己犠牲の上で、大衆へあまりにも沢山の贈り物をしている方に関しては、約束として、もしかしてそういうお役目の人がいるのかもしれないなと。月は個人の為にはなりませんが、大衆のためにはなるのです。

 

 

 

もしかしたら大衆へ願いを投げかけるお役目の人がいるのかもしれません。魚座の月ですから、どんな人にも分け隔てなく笑っていてほしい。平和であってほしいという願い。みんなに和んでほしい。月は欠損と解釈していますが、7歳以上に成熟することのないピュアな願いだけは本物です。晩年、月だけではその願いを実現することは出来なくなってしまいますが、願いは本物なんです。

 

 

 

いじり文化ってやっぱりそういう事

 

 

 

月に魅入られる事をも引き受けている人がいるのかもしれないのであれば、それは、魂の約束なのかもしれません。その運命は苦痛や犠牲や最終的に死を伴いますが、それと引き換えに大衆に多大な影響を与えることが出来る。大衆に愛されるが故に死を持って伝説的になる。その姿はさらに大衆の心を掴んで最期まで影響を与えてしまうのです。悲しきピエロという言葉が浮かんできました。

 

一視聴者として寂しいですが、この件を通して、やっぱり月には魅入られない方が個人的には幸せなんだろうな、という確信が増しました。そして、これまでのお笑い文化を否定するわけじゃないですが痛烈なメッセージとして感じたことがあります。

 

やっぱり、いじり文化、辛かったんじゃんってこと。バカにする。貶める。見下して笑いものにする構図を堂々とお笑いですとやってきたスタイル。人、死んでるじゃんってこと。あれはやっぱり、いじめの構図だったんだよねと、みーんなが目が覚めた。月うお座の自己犠牲の体現によって、みんなの心の中にスッと入ってきたはずです。もちろん周囲の芸人さんとは信頼関係があって、愛をもって接していたでしょうが、イメージとしてこれほど大衆に認知されている芸能人の身に起きた事ですから、無意識に大衆が受け取った影響は多大です。そういった意味で、昭和、平成の空気感に終止符を打つ節目のように感じました。ご冥福をお祈りいたします。