ずっと自由時間@占星術blog

宇宙や星や日常のこと

夏のよもやま話

 

連日の真夏日、いかがお過ごしですか。わたしはどうにか適応して生きています。今年は涼を感じるメニューばかり作っているせいか、夏を感じています。素麺はもちろん、冷製パスタ。梅おろしうどん。冷やしトマトも美味しいですね。ペースト状にしておいた完熟梅も大活躍で、焼きナスを梅しょうゆダレにつけて冷やして食べると絶品なのです。

 

 

 

というかなんでもいいので、焼いた何かをタッパーに入れて梅ダレで冷やす。おろし生姜や刻みネギ、かつお節などかけるとなおgoodであります。デザートは安い家庭用かき氷機でごりごりと削ったかき氷♪

 

物価上昇ですからね、家で好きなものが作れると本当にお得だなあと思います。外食にNONONO!調味料も、原材料を購入するようにして、組み合わせ次第で必要なものを作り出すのがやっぱりお得ですね。電気も昼間って意外と明るいんですよ。日当たりにもよりますが、別につけなくても問題ないんです。自然の光を楽しむ派なんて言い方もできますね笑

 

さて、今日もよもやま話ですがよければお付き合いください。

 

 

 

 

なぜか繋がった話

 

以前、縁あってとある映画のエキストラをした事があります。都内でかなり大勢の人が参加していて、わ~すごい人!へ~こんな風に撮影するんだ~なんて当時は楽しかったです。ただ立ってたり、歩いたりするだけですが、演技指導もされたりしました笑 ですがそれから少し経った頃、不思議なことが起こり始めました。

 

突然、とある特徴的な刃物のイメージが繰り返し頭の中に表れるようになったんですね。映像で見えるわけです。詳しくは書きませんが、とにかくわたしにとっては不快なイメージでした。嫌だな~。なんで??なんでこんなに出てくるんだ??と不思議に思っていました。

 

しばらくたってその映画が公開になりました。わたしは原作を読んでいなかったので全く知らなかったのですが、なんと、あったんですよ。そのシーンが!!!映像で出てきたのとほぼ同じなんですよ。ああ、これかぁと妙に納得しました。

 

 

 

 

理由はわかりません。たかだかエキストラの縁です。私が知らないうちにチューニングを合わせてしまったのか。はたまた、ほんの少しの接点から影響が流れ込んできたのか分かりませんが、なぜか繋がってしまった、そんな体験でした。

 

 

セミ爆弾と孤独死は似ている

 

 

この季節になるとひっくり返ったセミ、見かけますよね。急に動きだす恐怖のセミ爆弾です。昆虫の生き方って、すごく潔くていいなあと思う時があります。

 

窓際にポトッと落ちている羽虫とか。アレって孤独死じゃないですか。セミ爆弾も、孤独死の形。道端で、もう生きるエネルギーが減ってきてひっくり返っている。もう飛べないけど、まだ生きている。でももう元気には飛べない状態。

 

セミの介護とかって誰もやらないですよね。もう命が尽きることが自然なのだから。そのまま動かなくなり、カラカラに干からびて、やがて小さな生物に分解されて循環の輪の中に入る。こうして考えてみると、人間だけが特別大げさではないでしょうか。

 

 

 

まあ実際問題、マンションの大家さんとかはすごい困るわけで。孤独死は勘弁してくれと思っている事でしょう。でも当事者的には、枯れる様に旅立てるので、悪くはないんじゃないでしょうか。なんていうか、病院での終わらない延命で、肉体の苦痛に繋がれるよりはよっぽどマシじゃないかと思います。

 

わたしたちは、窓際の羽虫や道端の蝉爆弾のように、ごく自然な形で最期を迎える事をあまりにもタブー視しているように思います。大家さんがその後の処遇に困るとか、最後まで薬のんでくれないと病院が儲からないとか、高齢者施設が儲からないとか、身寄りが居ないと葬儀屋さんが儲からないとかはあると思いますが、本人の精神的には誰にも知られずにこっそり旅立つ自然な最期、悪くないのでは?なんて思ったのでした♪