ずっと自由時間@占星術blog

宇宙や星や日常のこと

負けの包容力 やぎ座22度

やぎ座スペシャルの続きです。やっぱり知りたい!やぎ座さんのこと。

 

tiisanaherbyasan.hatenablog.com

 

山羊座さんって、すごく有能なんですよ。みなさんの周りにいるやぎ座さんも、仕事のできる人ではないですか?頼りになるし、やぎさんに任せておけば、変なことにはならない。全方向に注意を払ってくれます。でも、ピュアな山羊座はまじめに正論で論破しすぎちゃう傾向にあるので、逆に危ういんです。有能が故に、嫌われます。裏切られます。煙たがられます。意地悪されます。

 

 

イケイケ!ピュアっ子正論ボーイや正論ガールであるほど、ズルは正そうとするし、相手の非は絶対見逃しません!自分の非よりもまず、相手の弱点を論理的に突くことのほうが圧倒的に得意なのです!勝つにはどこを叩けばいいか瞬時に分かるのですから。

 

ですが、そんな有能な人であるほど難しいとは思いますが、22度は潔く負けることが求められる度数なのです。潔く負けることに幸運や豊かさが訪れる度数になっています。積極的に勝ちに行く姿勢ではなく、負けの包容力で後から信頼や豊かさを引き寄せる。そんな学びです。

 

 

 

言い訳せず、自分に至らないところがあって負けました。失敗しました。素直に、優美に自らの至らなさを認める。実力が足りなかったと認める。もっと精進します。足りないところは補えるよう努力します。周囲にもお手数かけますが、協力してください。と教えを乞う。この姿勢は周囲の人の心を打ちます。

 

もしかしたら相手は嫉妬や、私情でフェアじゃなかったかもしれません。そんな構図が周囲から見て明白だっとしたらなおさらです。それでも、自分に至らなさがありましたと言われたら、それはもう側から見てる人からは、なんて懐の深い人だと。信頼を寄せることになるでしょう。


 

 

この度数にぴったりなエピソードとして、思い浮かんだのは、柔道の篠原選手。世紀の大誤審と叫ばれたシドニー五輪の決勝。

 

 

 

篠原信一 - Wikipedia

言い訳しない姿勢がカッコよかったですよね。ただ、自分が弱かったから負けたと。彼が言ったのはその一言でした。世紀の大誤審といわれましたが、一切の言い訳をしない姿は人々の心を打ちました。本当の勝者は篠原選手だったと誰もが思ったのでしょう。その後のTVでの活躍はそういった人間性への信頼が呼び込んだ仕事だったのでしょう。厳しい状況でも、謙虚に高貴な姿勢を貫く。やぎ座の22度とはそういった意味で精神性が磨かれるフェーズにあるのです。


 

 

 

先日は、ポロっと軽く、負けちゃえばいいんですよ♪みたいな風に書きましたが、実際には結構えぐいのかもしれません。正しさで上り詰めたピュアで有能な山羊さんほど、難しそうだな~なんて思ったのでした。矛盾が分かるからこそ、弱点が分かるからこそ、勝る方法が分かるからこそ、負けてあげるのが難しい。

 

 

 

 

そこを突破するには、謙虚な姿勢と、そして情。情は、図星を突かない優しさです。みんなが有能な山羊座さんのようにはできないのです。正論ばかり言われると、辛くなっちゃう人もいるんですよ。たまには見逃す優しさも兼ね備えてくれたら、もう山羊座さんには言う事ないですね。な~んて言ってると、最終的にかき氷が食べたくなったのでした。まとまりのない話でごめんなさい♪

 

 

 

負けることで開く扉がある

 

初夏って良い季節ですよね~。暑くもなく寒くもないこの時期が一番好きなんです。風も気持ちいいですよね♪わたしはふたご座なので、この時期に生まれた事に非常に納得しております。な~んて言っていたら今日から関東甲信は梅雨に突入ですか?早いものですね。

 

さて、生まれた時期といえばですよ。このあたりで生まれたらハードモードだろうなぁ~と思うのは、山羊座の真冬の時期です。双子から見て、山羊はインコンジャンクト(150度)ですから、山羊の常識的な理屈にハマりたくなかったり、理解できなかったりして仲良くなるには努力が必要な関係なんです。まぁ、この関係で教育係よろしく手を焼くのはまちがいなくやぎ座でしょうけれど笑。今回はそんなわたしがやぎ座を理解するべく、身近に居るやぎ座さんについて考察したとにかくやぎ座スペシャルな日記です。

 

 

 

山羊座の考察はじめに

 

 

山羊座の支配星といえば、この世の王様「土星」です。社会のシステム・組織・規則・法律!この世で頭角を現すには何事も努力と忍耐の継続がなくてはならないのです。しかるべき順序を経て、しかるべき努力をし、しかるべき対策を練る。合理性を愛し、無駄をそぎ落とす。目的達成の為には様々な戦法を駆使し、粘り強く相手と交渉する。年長者は敬い、これまでの経緯や伝統を大切にする。何事も継続こそが力なり!はい!ごもっともであります!

 

なんか息が詰まりそうだけれど笑 反論すること?いいえ、まったくありません。これらはこの世で鉄板の法則です。正規ルートって感じでしょうか。この世界は夢ばかり思い描いても、山羊(土星)的な現実的な努力が出来なければ、3次元にはなにも出現させることが出来ません。ケーキ食べたいな♪と思ったら、自分でケーキを買いに行って目の前に準備しないことには食べる事は出来ません。この世界では思うだけで目の前にパッ♪っとは出てきません、普通は。(シンクロをバンバン起こすと、欲しいものが絶妙なタイミングでやって来たりしますが)普通は、夢を現実にするには唯一、行動するしかないのです。

 

 

そんな山羊座の支配星である「土星」は、魂を肉体に閉じ込める箱の役割もしています。体で言えば骨および外皮。家で言えば柱および壁。松村先生の著ボディーアストロロジーではこんな風に書かれています。

 

身体は大地から自然生成的に成り立ったものではなく、むしろ精神が地上に降りてきて、それに合わせて大地から引き寄せられた素材が、精神を模写するように形成されてきたものだと考えるならば、あるいは上から降りてきたものが、下から上がるものと合流し、互いが譲り合いながら、互いの意図を人間という中間存在に反映させたものだとすると、身体は生命の樹のようになるという事なのでしょう。(ボディーアストロロジーp207 著:松村潔)

 

この世の王様の栄枯盛衰

 

 

土星の発達年齢域は56歳から70歳です。一般的に社会的権威や社会的安定を手に入れる頂点がやって来て、この世的な栄華を極めます。サラリーマンで言うところの最高位のポストについてから、退職するまでにあたります。

 

で、山羊座からみずがめ座に移行するプロセスに、すごく重要なポイントがあります。常識が覆る瞬間を革命と言いますが、この世の王様である土星の努力と忍耐でも「負ける」瞬間が来ることを伝えているのが、やぎ座22度のサビアンシンボル「敗北を優美に認める将軍」です。ここで「敗北」が出てきます。

 

 

 

勝ちすぎは負けを育てる

 

この度数を持っている人が身近に居ますが、確かに彼は傍から見て「負け」に転じてしまったプロセスを歩んでいました。手に入れたと思ったら、持って行かれてるわけです。一生懸命、正攻法で努力して手に入れたのに、奪われちゃった。結果的に、失ってしまったということです。そんな彼を身近に見ていてはじめは不思議だったんです。なんでだろう?と。そして彼のホロスコープの中に、このサビアンシンボルを発見して納得しました。

 

うーん、じゃあシナリオ的に順調なのかぁ。困難、設定してるんだなぁ。頑張って頑張って、獲得した先が敗北??いかにも、らしいなあと思ったのでした。

 

で、彼を見ていて分かったのは、正攻法で勝ちすぎるということ。ああ、そうか、こうやって、その場を(相手を)支配しちゃうんだなあ、打ち負かしちゃうんだなぁと。その言葉に、矛盾がなく、筋が通り、合理的に説明できるほど、正攻法では勝つけれども、同時にひっくり返る芽を作ってしまうなぁと思ったわけです。こうなると、正攻法ではない、強硬手段によって、なんの秩序も無視した形で、裏切られる結果を育てる事になるのです。

 

陽が極まると陰に転ずるように、リーチ、そしてコンプリートすると、ひっくり返るしかなくなります。勝ちが続くと、負けに流れる。だから、やぎ座的な理屈は 正しかったはずなのに、一番欲しかったものを手に入れられなかったわけです。21度では勝つことを目標にそのやり方で、実際に勝てて良かったけれども、22度ではその先の「負ける」を通して魂を磨いていくシナリオなのでしょう。

 

山羊座22度【敗北を優美に認める将軍

 

より優れた成果を目指すために表面的な勝ち負けからは降りる人が多くなります。小さなことで負ける代わりにより大きなことで勝つ人が多いでしょう。仕事の成功などといったものには、もう飽きている人が多いかもしれません。

 

昔から物質と精神は相逆になっているという説があり、ドイツの精神指導家ルドルフシュタイナーは、物質と霊の世界で名前は反対になると主張しています。その理屈から考えると、集団社会で目に見える戦いに勝つというのは、精神面では敗北するという意味になるのです。シンボルに描かれた将軍は戦いに負けることと引き換えに、その心の高貴さを称えられ、精神的な意味での勝利を得たのです。

 

勝利に向かって生きるべきだという、こうした価値観に支配されている間は、人間がより高度な発展に向かう為の可能性をお互いに封じ合ってしまいますが、「将軍」は負けることで、より優れた可能性への抜け道を見出します。(愛蔵版 サビア占星術より 著:松村潔)

 

 

 

なにかが間違っていた、負けることで常識だけではない別の道が存在しているのでは?そんな気づきを経て、そこではじめて常識外の天王星へと意識が向かうことになります。常識じゃダメだったという「22度の負け=挫折」を通して23度以降のみずがめ座の扉が開き始めます。

 

 

 

ちなみに、息の長い人、バランス感覚のいい人は、勝ちすぎないように、寄付をしたり、負けどころを作ったり。奥さんの尻に敷かれてたり、みんなができることが致命的にできなかったり。時には損を引き受けたり、利益をみんなに還元したり。みんなが当たり前のように、得ているものを初めから持たなかったり。不本意な形で持ってかれないように自然と気をつけているような気がします。わざと極まらないように欠けを作っているような感じです。逆にエリート一族の中の「欠け」を引き受けてしまった人によって起こされる悲劇はよくニュースなどで見かけますよね。その話はまた後日。

 

 

水瓶座の時代を生きる

 

さて、やぎ座スペシャルと言いつつ、もうみずがめ座の話をしていますが、21度を折り返し地点として、22度以降はやぎ座でありながら、意識が既にみずがめ座に向いているのです。

 

現在、風の時代とか、みずがめ座の時代とかよく聞きますよね。風の時代と言われるのは、木星土星の重なり(コンジャンクション)がこれまで土エレメントで起こっていたのが、2020年12月に水瓶座で起こったからです。以降約200年は風エレメントで起こります。エレメントが変わるって事が時代の空気感が分かりやすく変わるって感じかなと解釈しています。私はふたご座なので、これまでの地の時代は結構しんどかったなあと思いますし、肌感覚として最近の方がとても生きやすいと感じています。

 

2020年はなぜ騒がれていたかというと、直前にやぎ座で冥王星も含めてトリプルコンジャンクションだったとかでした。2020年は社会の箱を冥王星が見事に破壊しましたものね。そして、2023年3月21日春分の日には冥王星みずがめ座入りすることで水瓶座の追い風が加速すると。そんなイメージです。旧体制的な思考だとしんどくなるかもしれませんね。でもそんな人も負けちゃえば次の扉が開くみたいですから、そんなに心配することもない様ですよ。

 

 

 

ざっくりいうと、ドロップアウトしてもな~んだ意外とハッピーじゃん!みたいな。こんなことなら早く下りれば良かったな。雨降って虹が出るみたいなね。そんな感じかもしれません。


話は変わりますが、わたし風鈴好きなんです。夏になると神社とかで風鈴が大量に吊るされている事があって、そろそろそんな季節だなあなんて思ったのでした♪

 

 

 

 

 

 

いじり文化ってやっぱりさ



 

以前、上島さんの訃報について書きました。やっぱりまたつづきです。

 

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人生の大半を月に捕まり、最後まで月を使って自己証明しようとするもエネルギーを消耗してしまった。そんな構図が見えてきた、その先。

 

 

 

イメージはあるが実力がない月

 

 

 

ホロスコープを拝見した印象はピュアでまじめな人。自己犠牲を厭わない月うお座の願いに応えるかのような山羊座の太陽の忍耐力が核だったのでしょう。目的のためならどんなことにも耐えられるという強い意志をもっていた。元気なうちは。

 

自虐したり自分に鞭打つような過酷な状況も、山羊座の真剣さと忍耐強さがあるからこそだったと改めて思いました。仕事に対する姿勢はすごくまじめな方だったのではないかと思います。やはり、ちゃんと太陽を燃焼させていたと感じます。月だけでは長年の第一線での活躍はできるはずがありませんからね。

 

意識的に使える太陽が燃焼している間は良いのです。月のピュアな思いを携えつつ、太陽の意志を持って行動していく。月を礎にして太陽を発揮して人気者になる。これは苦しさはあるものの途中まではうまくいくのでしょう。

 

しかしこの体制は、太陽のエネルギーが弱まると、自然と月だけに占領されてしまいかねません。月は能動的な太陽とは異なり、自ら光れない受け身の性質を持っていますから、太陽の意志を失うと変わって月が台頭します。昼間の太陽が沈むと夜に月が輝き出すのと同じですね。魂の喜びを表す太陽に対して月は死の星と言われており、自ら光る太陽とその光を利用して反射させているだけの月を見ても分かる通りです。

 

そんなこの状況の一番の問題点は、月には実力がない点です。月だけでは月の願いを実現することが出来ません。ここで、明るく前向きに諦めたり、軽々と可愛らしく願いだけを放ったりすればいいですが、執着してしまうと、たちまちエネルギーの消耗が加速する。無視できないレベルになっていきます。そしてルナティック(精神異常)に陥る。なので月を使って自己証明を試みてはいけないのです。なんども言いますがイメージだけがあって、実力がないからです。

 

 

 

月に魅入られたお役目の人

 

 

 

「月に捕まる人生は輪廻の輪に引き戻され、やり直しを迫られる=失敗である」

わたしは月星座に対してそんなイメージを抱いていました。月は注意して見抜かなければならないトラップを内蔵していると思っていますが、はたして月に捕まる人生は失敗なんでしょうか?

 

わたしはこんな風に思ったんです。今回のように自己犠牲の上で、大衆へあまりにも沢山の贈り物をしている方に関しては、約束として、もしかしてそういうお役目の人がいるのかもしれないなと。月は個人の為にはなりませんが、大衆のためにはなるのです。

 

 

 

もしかしたら大衆へ願いを投げかけるお役目の人がいるのかもしれません。魚座の月ですから、どんな人にも分け隔てなく笑っていてほしい。平和であってほしいという願い。みんなに和んでほしい。月は欠損と解釈していますが、7歳以上に成熟することのないピュアな願いだけは本物です。晩年、月だけではその願いを実現することは出来なくなってしまいますが、願いは本物なんです。

 

 

 

いじり文化ってやっぱりそういう事

 

 

 

月に魅入られる事をも引き受けている人がいるのかもしれないのであれば、それは、魂の約束なのかもしれません。その運命は苦痛や犠牲や最終的に死を伴いますが、それと引き換えに大衆に多大な影響を与えることが出来る。大衆に愛されるが故に死を持って伝説的になる。その姿はさらに大衆の心を掴んで最期まで影響を与えてしまうのです。悲しきピエロという言葉が浮かんできました。

 

一視聴者として寂しいですが、この件を通して、やっぱり月には魅入られない方が個人的には幸せなんだろうな、という確信が増しました。そして、これまでのお笑い文化を否定するわけじゃないですが痛烈なメッセージとして感じたことがあります。

 

やっぱり、いじり文化、辛かったんじゃんってこと。バカにする。貶める。見下して笑いものにする構図を堂々とお笑いですとやってきたスタイル。人、死んでるじゃんってこと。あれはやっぱり、いじめの構図だったんだよねと、みーんなが目が覚めた。月うお座の自己犠牲の体現によって、みんなの心の中にスッと入ってきたはずです。もちろん周囲の芸人さんとは信頼関係があって、愛をもって接していたでしょうが、イメージとしてこれほど大衆に認知されている芸能人の身に起きた事ですから、無意識に大衆が受け取った影響は多大です。そういった意味で、昭和、平成の空気感に終止符を打つ節目のように感じました。ご冥福をお祈りいたします。

 

 

 

スピリチュアル ヒスイ探し

 

久しぶりの更新になりました。梅雨目前にして、ようやく夏の陽気に近づいてきたように感じます。いかがお過ごしでしょうか。わたしは先日、新潟県糸魚川翡翠探しに行ってきました。糸魚川は世界有数のヒスイ産地でありまして、全域が糸魚川ジオパークとして指定されています。実は3回目の挑戦にして今回初めて翡翠をゲットできました。それがですね、探し方を変えたとたんに、すぐに1つ、そしてまた2つと立て続けに発見したのです!今回もまた変な話ですがお付き合いください。

 

 

 

 

 

スピリチュアル的ヒスイ探しの巻

5月中旬、もう初夏の蝉が鳴いており、思わずコンビニでスイカバーと冷やし中華を買ってしまいました。本格的な暑さが来る前の、このくらいが一番過ごしやすいと個人的には思っております。

 

さて、ヒスイ探しですが。有名な場所ですから海岸線を翡翠を求めて練り歩く人がたくさんいるんですね。わたしも夫と1日中、砂浜や玉砂利の海岸を歩いていたわけですが、これがなかなか見つからない。ずっと下を向いて、とぼとぼと歩いて。それらしきものを発見してはしゃがんでの繰り返し。こっちは何としても見つけたい~!という欲の目で探してますから、体力ゲージ無視でもうへとへとになるまで探してました。これは真夏は熱中症に特に注意ですよ。危険な感じがします。

 

で、ぜんぜん見つからず半ばあきらめムードだったんで、あ~もう変な探し方してみよう~♪ってことで。この海岸のどこかにいるであろう翡翠に波長を合わせてみたんです。いわゆるチャネリング的な?よくわかりませんが、やってみました。

 

翡翠さん~この海岸にあなたはほんとにいますか~?”

 

”てゆうかどこにいるんですか~?”

 

”ちょっと出会わせてくれませんかね~?”

 

みたいな笑

 

そしたらメッセージが返ってきたんです。

 

 

 

ヒスイからのメッセージ

 

「わたしはこの海岸に確かにいます」

 

「わたしはこの海岸に無数に存在する、その他の石とまったく同じ価値です」

 

「人間が勝手に探してるだけ」

 

「だから好きな石を拾ってね」

 

 

ああ、確かにほんとうにそうだなあと。なんだかすごい優しい感じのメッセージが来たんです。たしかに人間が勝手にやれ宝石だ~やれ価値がある!って言ってるだけですからね。翡翠じゃなくてもきれいな石はたくさん落ちています。赤、青、黄色、緑、ピンク、オレンジ、グレー、ブラック、縞模様、水玉。ほんとに、ああそうだな~と思った瞬間。一歩目で、目の前にあったんです。

 

え!?これそうじゃない??

 

青みのある翡翠原石。(鑑定済み)

 

あれだけ探してて見つからなかったのに、チャネリングしたらすぐに見つかったなんて。偶然でしょうか??いや、でもそのあとも対話しながら探してたら、30分以内に2つ目を見つけたので、間違いないでしょう♪ これって探し物する時とかに応用出来たらめっちゃ便利なのでは?とか思ったりして。まあ信じるか信じないかはあなた次第です笑

 

左:2つめの黒みがかった翡翠原石(鑑定済み)



 

 

人気と引き換えに持っていかれるもの

 

先日、上島さんの訃報について少し触れましたが、どうしても気になってしまったので続きです。今から言う事は完全に妄想ですが良ければお付き合いください。誤解を恐れずに言うと、このような結果を迎えてしまった今、彼はお茶の間の人気者でプロのいじられキャラでしたが、それは実は本意ではなく、大衆のピエロやスケープゴートになってしまっていた側面もあったのではないかと思ってしまいました。

 

◆ピエロ…アダルトチルドレンのタイプ別診断に使われる用語で、集団の不和や崩壊を繋ぎとめるために場を和ませたり、にこにこと明るく振るまってくれるとても優しいタイプ。時には強い者の言いなりになったり、自分の感情を後回しにしてでも周囲の雰囲気を和やかに穏便にしたいといつも願っています。ピエロの印象は人気者、優しい人、愛されキャラ、可愛がられる、良い人。孤独や寂しさを抱えています。

 

スケープゴートアダルトチルドレンのタイプ別診断に使われる用語で生贄を表します。自分に落ち度はなくとも濡れ衣を着せられるように冤罪を引き受けてあげたりして集団の犠牲になったりします。一方的に虐げられるため自分に対しても周囲に対しても不信感を抱き、自己否定感を強く持っています。ダメな人間であるように振舞ったり、わざと失敗をしたりして自虐的な行動をとることで周囲の結束を深めようとします。誤解も濡れ衣も否定せず受け入れ、静かに耐える優しい人。本心を絶対に明かさない人。孤独や寂しさを抱えています。

 

※メンタル心理そらくも様より引用・参考にさせて頂きました。

 

というのも彼の月星座は魚座で太陽星座は山羊座の終わりにあります。お人好しで涙もろくて優しくて良い人そうで。大衆に見せていた顔は魚座の月そのものではないでしょうか。山羊っていう感じではないですよね。彼が大衆に見せていた顔はおそらく月だったのではないかと思ったのです。

 

 

とはいえ、プロとして長年第一線で活躍するには7歳までの能力の月では普通はできませんから、もちろん太陽も燃焼させていたことと思いたいです。でなければ、7歳程度の月でどうにか踏ん張りながら、怯えながら頑張っていたということになってしまいます。彼の若い頃の様子を拝見すると、太陽を燃焼させていたようにお見受けしますが、最近のテレビでの様子などは時折怯えた子供のような目をしているように感じる場面がありました。舞台の中央に担ぎ上げられても、それに耐えうる能力は7歳の子供にはありません。だれか助けてくれと、7歳の子供が周囲に叫んでいるようにも見えました。周囲はその様子を見て、ただただ面白いと言って笑っています。今となってはそんな構図にも見えてしまいました。

 

 

そして年齢ですが、61歳といえば2度目のサターンリターンを過ぎた頃です。自分の本音と対面させられる30歳前後(1度目のサターンリターン)に続いて、60歳前後に訪れる2度目の節目。それまでの30年間を振り返り、より魂の本質へと軌道修正される2度目の時期。ということは土星による、現実的に新しい自分軸を台頭させて新たなステージへ進んでゆくイニシエーションを無事終えた頃だったと言えます。最近の俳優業へ邁進している様子などはそれが理由かもしれません。

 

 

 

 

 

ここで、当日のホロスコープを見てみることにしました。すると彼のネイタル(生まれの)太陽にトランジット(現行)の冥王星がずっしりと乗っていました。しんどいはずですね。圧力の要因はこちらでしょう。サターンリターンは無事通過したものの、冥王星の圧力によって太陽が生まれ変わりを強制されたのでしょう。冥王星は根幹からの破壊と再生ですから、これには耐えうる気力、体力が残ってなかったのでしょう。

 

 

冥王星が最後に破壊して行ったものは何だったのか考えた時、ふと思いました。それは月にエネルギーを供給しつづけてしまった太陽だったのかもしれません。月を使って人気が出た結果、無理をしても活躍し続けてしまった。リアクション芸というのも、太陽の光を利用してただ反射し続けている月の構造と似ています。自分発信ではないところに決定的な弱さがあります。

 

そして、冥王星による破壊と再生が行われる過程で、自身でも気づいてしまったのではないでしょうか。これまでの数十年間、人気や名声、それを土台にして得た経済力と引き換えに、本来の太陽の道を選択しなかったという事実に。ピエロであるという矛盾に。気づきたくなかった自分の本心に対面させられた時のショックは、築き上げたものが大きければ大きいほど相当なものになると思います。

 

 

  

 

(これは1年前のyoutube動画です)

5:09~

人気を博して成功した有名人でも、芸能人でも、ハッとこの嘘の、偽りの月の世界に気付いた時のショックは、どうにもならないものがある……。

 

 

現行の冥王星によって、本来の道へと太陽が軌道修正させられた結果、月はようやく力を失うことになります。きっとそれまでのようなお笑いで得ていた安心感は彼は全く感じる事は出来なくなっていたのではないかと思います。これは冥王星が強制的に準備した新たな門出でしたが、芸人として築き上げたこれまでの全てを失った状態でもあります。(外界的には何も失ってはいないでしょうけれど、すべては内面で起きている出来事です)

 

 

しかしここで絶望せずに一念発起して、太陽を燃焼できればまた生まれ変わったように、新たな道が用意されていたでしょう。サターンリターンによって切り開いた、最近出演されていた俳優への道がやはりそうだったのかもしれません。もともと芸能界を目指したきっかけは俳優志望だったとお見かけしました。しかし気力の弱りや肉体の衰えも相まって、今回の冥王星による魂の軌道修正の圧力には、耐えられなかったように感じます。

 

 

 

 

とても明るくて面白くて楽しくて。皆を和ませてくれる存在。大衆が見ていたのは彼の本質だったのでしょうか?このような結果を迎えた今、私たちはこれまで彼のイメージとしての月を応援していたと思えてなりません。なんだか栗城さんのエベレスト登頂を無責任に応援していた大衆の構図と似ていると思ってしまいました。

 

 

大衆はいじられキャラとして今までと同様に皆に愛される彼を今後も見たかったのです。でもそれが彼の本質ではなかったとしたら?ちゃんと傷ついている部分があったとしたら?本人にしかわかりませんが、大衆に晒されている芸能人ともなると、皆の抱くイメージに飲み込まれて、皆に望まれる自分と本質の狭間で真実を見失いやすくなることでしょう。人間としては危うい状況です。最後に他人が口をはさむには大変失礼な物の言い方をしますが、長年魂の道より生活の安定や人気を取ったという事実と対面した時の自分自身に対するショックや失望は、人を死に追いやるほどの威力を持つという事。月星座うお座の自己犠牲と優しさ。それによって消耗してしまった天性の優しさを持った人の運命の末路を見たような気がします。

 

 

 

 

妖精エネルギー


春の陽気で暖かさが心地よい季節になりました。私の住む地域ではまだまだ新緑の芽吹きが始まったばかりで、長い冬を終えて植物も人も生きやすい気候になったなあと肌で感じています。


さて、先週のリポビタンDの渡辺さんに続いて上島竜平さんの件、すごく驚きました。ダチョウ倶楽部といえば私の世代では子供の頃、天才てれびくんのMCで見ていたのをよく覚えています。以前から思っていたのですが芸能人の訃報って連鎖しがちですよね。それだけ集団の注目を集めている人って、計り知れない多大なプレッシャーが掛かっているのではないでしょうか。そして同じ芸能界にいる人の訃報を耳にすることで、同様にギリギリ保っていたメンタルの糸が切れてしまうのかもしれません。やはり注目されるっていうのは良くも悪くも結局はストレスなのです。

 

考えてみれば何千人、何万人から注目される状況って本来、不自然なんですよね。もちろん注目される事に適正がある人もいるでしょう。むしろそんな人たちであっても、それでも運気やメンタルは波があって、上手くいかなかったり弱気になっている時期ってありますから。繰り返しの中で、肉体の衰えも重なって、もう耐えられないとか、もういいかなとなってしまう瞬間が訪れても不思議ではないのかもしれません。生命力の切れ目というかね。

 

芸能界での薬物問題や、性依存症などのうわさが絶えないのも同様で、人間として不自然なストレスに長期間曝されている結果、そのしわ寄せが色々な所に現われているのではないかと思いました。才能があって、ファンも沢山いて、もちろんお金もあって。華やかで豪華絢爛に見える一方、かなり持っていかれるモノも多いのでしょう。人から持たれるイメージ(月)は人気をもたらしますが、本人の本質(太陽)とは違います。嘘偽りのない素の自分より、何万人という集団によって抱かれているイメージの自分を保たなければならないということ。お辛かったのかもしれません。ご冥福をお祈りいたします。

 

 

 

妖精はすぐそこに

 

さて、妖精のエネルギーは生き物を育てる精霊エネルギー。ということで緑が活性化するこれからの季節、摩訶不思議な妖精エネルギーに注目すると面白いかもしれません。愛先生も妖精エネルギーについてはyoutubeでたびたび語っています。トマトが怯えていた話、好きです。愛先生ってこう言うことを真剣に言うから、なんかかわいいんだよなぁ笑

 

  

  

  

会った様な気がする 妖精の気配


妖精の気配、感じたことありますか?妖精のエネルギーって何なのかなと考えた時に、ふと思い当たる経験がありました。わたしの母の実家がかなり田舎にありまして。一面の畑や田んぼがあって、小川が流れていてのどかなところです。なので、遊びに行っても、誰一人として人間に会わない事もあります。


そこでいつも感じていたのは、ぷらぷらと散歩をした後、誰にも会ってないにもかかわらず、凄く沢山の人に会ったような気がして不思議に思っていました。なんか、誰にも会ってないのに、色んな人と交流したような気がする。なぜだろうと。それでいて疲れるとかはなくて。いい気分でリフレッシュしているのです。

 

 

 今になって考えてみれば、あの時の感覚こそが、植物や虫たちを育む妖精エネルギーに触れたということなんだなと分かったんです。すごく楽しくて癒された時間でした。


その時目にしたのは、あらゆる種類の植物が混在し、無数に存在する空飛ぶ虫や土を這う虫、そして水中生物。どれも生き生きとして、短い生を謳歌していました。背丈ほどもある植物は人間の行手を阻んだり、蜂や蝶々などは見知らぬ人間を確認しに来るかのように目の前まで飛んできたりします。また、風の音や鳥の声、かえるの鳴き声の振動数に共鳴したり。そんな風にしてわたしは人間には出会わずとも、その土地のエネルギーにどっぷり浸かっていたのでした。


妖精エネルギーは、緑が茂っている中に身を置くと、簡単に感じられます。あとは山の中でなくても、緑のあるところには必ず妖精がいますから、そういう目で道端の草木やお花を見てみると楽しいかもしれません♪家庭菜園にもきっと宿ることでしょう。

  

 

ほんとうの自分がわかると安心する



 

本当のことがわかると安心する

 

 

先週、“music blood"という音楽番組に強烈なリリックと唯一無二のラップスキルで注目されるAwichさんが出ていました。この番組の中でAwichさんは紆余曲折の過去の事についても語られていましたが、個人的に印象的だったのは、「生きてて楽しいとかそういう姿を子供に見せたい」のような発言をしていた事でした。わたしはそのまっすぐな言葉を聞いて瞬時に思ったことがありました。

 

 

  

 

 

「あ、わたしはそんな自信ないな、無いからそれをしないんだな」

 

と妙にほっこりしたんです。そう、ほっこりしたんです。わたしは子供に生きてて楽しいという姿を見せる自信なんてなかったわけですよ。だからそれをしない。私にだって生きてて楽しい事はちゃんとありますよ笑 でもなにより子供に自分の背中を見せながら育て上げる!というモチベーションがないのです。モチベーションが無いという事は、自分のしたいことと違うし、縁も薄くなる。それが良いとか悪いとかは置いといて、パズルのピースを集めるように、自分なりの嘘じゃない思いが浮上してきた事に、とにかくほっこりしたんですね。

 

あ、これだ。なーんだこれじゃん。

 

と同時にこんな風に、棚卸ししているつもりの自分の本音であってもやっぱり自覚できない部分があったのだなぁと思った出来事でした。きっとタイミングが来たのでしょう。そんな自分がいたって良いよねと、受け入れられたから扉が開いて、本音と対面できた。そして安心感が訪れた。すごく面白い体験でした。これはどんな事でもいいみたいです。本音が分かれば♪

 

あ、わたしこの人大っ嫌い。みたいなね笑

 

 

 

 

 

お迎えのはなし①

 

 

これに関連して、以前聞いたマドモアゼル愛先生の「お迎えの話」を思い出しました。どのyoutube内でお話していたか忘れてしまったのですが大体の内容は、人は死んだときに光の玉がお迎えに来てくれるそう。そして、これはあなたですか?と今回の人生の振り返りをするそうです。これは49日までの間に行われるとのこと。

 

 

 

 

で、生前の姿を見せられて素直に「はいこれは私です」となれば、では一緒に参りましょうと連れて行ってくれる。しかし「いえ、これはわたしではありません」と受け入れられないでいると、いつまでも天に昇っていけないのだそう。

 

これはあなたですか?の問いに、「いいえ、わたしはこんな人間ではありません」と答える人。なんとなく素直じゃないのが伝わってきますよね。善人であろうと悪人であろうと関係なく、それが自分の姿であると受け入れられない限り、永遠に天に昇れないシステムになっている。

 

これはあなたですよね?「いいえ、ちがいます。わたしは決してこんな人間ではありません!」そしてそのうちどんどん受け入れ先が地獄のようなに場所に近づいていく。うーん、早く認めちゃったほうが良さそうです。嘘かホントか確かめる術は誰にもありませんが笑 信じるか信じないかはあなた次第です♪ 

 

 

お迎えのはなし②

 

 

  

 

 

そういえば斎藤一人さんも以前に、死神の姿について言及していました。わたしたちを迎えに来てくれる神様は意外な姿でやってくるのかもしれません。いろいろな見解があって面白いですね。

 

わたしの予想では、お菓子とか美味しいものがたくさん用意してあるような、お花見とかお茶会とか宴会に誘われるみたいな笑 (おうし的嗜好です)そんなノリだと楽しそうでいいな♪と思っています。そこにはきっと懐かしい人たちが待っていて。待ってたよ!元気だった?と普通に再会を喜びながら歓迎してくれるのです。あなたはどんなお迎えのされ方が嬉しいですか?

 

 

 

 

認めたら楽

 

良くも悪くもどんな自分であっても善人でも悪人でも本当の自分が受け入れられたら、パズルのピースを集めるように次に進める。それはお迎えの時だけでなく、生きているときから習慣にしたいものですよね。普段から自分を受け入れられれば、光のプールのような安心感に包まれるのですから。

 

 

 

「こんなはずがない」

 

「こんなのは嫌だ」

 

「わたしはこんな風に思ってない!」

 

「わたしはこんな人間ではない!」

 

すべて今の自分を否定する言葉ですよね。それでは寂しくなるばかりです。これはあなたですか?の問いに、はいこれはわたしですと言える境地。それには、こんな風に思ってもいいんだと。こんな自分の側面があってもいいんだと。生きている間から練習して、素直な境地に辿り着きたいものですね。